私が大学4回生のころ、就職氷河期とも呼ばれ、就職するには困難な時代であった。
そんな中、気晴らしに富士山でも見に行くかと思い付いた。
1995年6月のある夜、友人Aを誘って京都を出発し、名神、東名高速と車を走らせ、午前中には静岡県に到着。
富士山というとあの写真で見る雄大な姿を連想していたのだが、雲の切れ間から山頂のあたりが見えるだけで拍子抜けであった。
当時、オウム真理教の麻原彰晃が逮捕され、上九一色村が大いに報道されていた。
せっかく静岡まで来たのだからサティアンでも見に行こうということになり、上九一色村へ向かう。
地図では村内にいるのだが、村が広くどこにサティアンがあるのかわからない。
途中の休憩スポットでしばし休憩する。
そこに「上九一色村案内図」という大きな看板があった。
よく見ると誰かが「第7サティアン」「第2サティアン」などと親切にも落書きしているではないか。
早速、第7サティアンに向かう。
そこには県外ナンバーの路上駐車の車がいっぱいでひとつの観光名所になっていた。
さすがに建物に近づくことはできない。
機動隊の人もたくさんいて、一緒に記念撮影してもらおうと頼んだが、勤務中なのでということで断られた。
何週間かのサイクルで北海道から応援に来ているらしい。
また検問も3回ぐらいあり、Tシャツにジャージのいでたちであったため、
「君ら信者?」
と警官に言われる始末。
確かにこんな格好では言われても仕方がない。
あるサティアン近辺には、かの有名な電線というかケーブルがいっぱいの帽子というか
ヘルメットをかぶった信者らしき人も見ることができた。
「サティアン」という言葉自体、覚えている人は少ないと思うが、一緒に行った友人Aも他人に自慢できる大学時代のエピソードとして語ることがあるという。