私の生まれ育ったのは人口5万人くらいの「市」である。
その市には12の小学校があり、私の小学校は田舎の部類であった。
家から町の中心部に出るのに車で15分から20分ぐらいかかった。
そして私の小学校区には信号がなかった。
車で親と町に出れば信号は目にするが実際歩いて渡ったり、自転車で渡ったりすることはほとんどなかった。
小学校の交通教室で、手動の信号機で実戦経験を与えられるに過ぎなかった。
中学校に自転車で通学するようになっても通学路に信号はなかった。
本格的に信号を渡ることができるようになったのは高校に行くことになってからである。
高校までは、自転車で片道8.5キロあった。
信号もJRの踏切もあった。
最初のころ、踏切のカンカンカンの音で停止し、歩行者信号が点滅しだすと止まっていた。
しかし、それは町で生まれ育った友人たちとの間に大きな距離が生じることとなった。
彼らは、踏切のカンカンカンの音でダッシュ、歩行者信号が点滅しだすとダッシュ、さらには赤信号でも車が来ていなければ、横断するのである。
「早く来い!なんしとるん?」というではないか。
それからというもの、町の子の交通ルールに徐々に適応していった。
そういえば、自転車で2列走行していて、学校の先生が通学路で見張っていて、
「ちょっと、あんたら止まりなさい」
と飛び出してきたが、先生とは知らず、
「うるせーおばはん」とばかりに無視して通り過ぎたら、後ろの女子に
「あの人先生よ」と言われたことを思い出した。
あと授業中、救急車が近くを通ると田舎の子たちは色めき立って反応してしまうが、町の子は当たり前の光景なので反応しないということも分かった。